いつの間にか夕暮れだった

こころかわりの烈しいわたしのこと

パントマイムで語りたい

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長い話になる。

最近、邦楽をまた聴き始めて思い出した事。

 

私が音楽を聴いたのは、まだ、3、4歳くらいのとき。

父が流す母国の曲と奥田民生PUFFY井上陽水が私のナンバーだった。

そのぐらいのとき、

父と母は多分おもちゃみたいなキティーちゃんの録音マイク付きラジカセを買ってくれて、毎日のように父がカラオケを録音した音をバックグラウンドに私は歌い、録音した。

とても楽しかったし、何より父と母は笑顔だった。

そうして幼稚園に上がる頃から年中までの間を熱中させてくれたのが、ポンキッキーズで流れる曲と宇多田ヒカルだった。幼稚園のお披露目会でもポンキッキーズの曲が流れると兎に角ハイテンションになり、幼稚園を帰宅すると部屋をシーツで覆い、暗くし母の用意してくれた手作りサンドイッチやらハンバーガーの毎回違う軽食を食べながら宇多田ヒカルのアルバムを流しては熱唱していた。

なんとも有意義なもので、幼稚園が嫌いだった私は唯一のストレス発散だった。

そして年中の途中から海外へ引っ越したのを機に約2年間、音楽は無縁で残る記憶もない。

小学生に上がる年の春、日本に戻ってきた私はミュージックステーションで目にした、モーニング娘ゴマキに憧れた。といってもすぐに飽きてしまい、アイドルを好きになったのは、これと後にもう一度だけあった2回のみだった。

そうして小学生になると環境の変化に中々馴染めず、生活することが大変で音楽とはまた疎遠になった。

落ち着きはじめた四年生ごろ読書に猛ハマりし、特に星新一が私の愛読になり、今でもそうだ。

そんなうちに小学生高学年の五年生の時、ジャニーズのYa- Ya- Ya-にどハマりし、特に藪くんが好きで、この頃にませた妄想が酷くなった。

まぁ幼いものでしたが、この年に始めた手帳の日記には付き合いたいだの結婚したいだの好きだの、こんな文字が沢山連なったのも束の間、半年くらいで終止符を打った。

それもまた学校生活が問題だった。

私は5、6年と酷いいじめに遭っていた。

6年生には親友にも裏切られて、人間の付き合い方に困難を強いられた。この頃から中学生の時まで自分が学校では繕って生きていることに気づき、本当の自分を学校でもどうしたら見せられるか試行錯誤していたんだけども、いきなりいつもと違う自分を思春期真っ盛りな周りのみんなに見せても受け入れてはくれなかった。そして、余計変な子に見られる始末だった。

いじめ真っ盛りな頃、私に自信を与えてくれたのが舞い戻った音楽だった。

パソコンでヤフー動画を見ていた時に発見した、リップスライムとくるりが命中。

この頃、この二組はコラボしていたこともあってどちらも見事な歌詞に私は勇気づけられる。

くるりはとくに。

ばらの花、ハイウェイ、この2つは歌詞メロディー全てが私自身を物語ってくれて涙が出ていた。そして、CMで赤い電車が流れると嬉しかった。

なんだかんだで中学生になると、スピッツが私の頭から離れられなくなり、草野さんに恋した。後半になるとシュノーケルが好きになり眼鏡男子にとにかく憧れた。シュノーケルはおよそ2年近く好きになったバンドで私はここで音楽をやりたいと思い、ギターをはじめた。

その影響が次々に音楽開拓を始めた。アジカンアナログフィッシュキャプテンストライダムチャットモンチー、ベースボールベアー、akeboshithe pillows、書ききれないほど聞いた、名前も覚えてないけどマイナーなバンドも沢山聴きまくりました。

だけども音楽を好きになる一方やっぱりもっと学校が嫌いになり周りから逃げるため、嘘を沢山つくようになったこと。大人にはバレバレに近く、一年近く嘘を沢山つくことで同級生にも離れられた。それでも私はこうしないと自分を守ることが出来なくて、術がわからなかった。親にも相談する行為が出来なかった。私はどこでも誰にも優等生を演じていたから。

そして音楽で囲まれた自分だけの世界に入ってしまった。そんな時に学校で問題になり、私は学校へ行きたくなくなり、両親と喧嘩し、ごちゃごちゃになったとき、引っ越しをすることになった。

そんな中私は死にたかった。

何処へ行っても、もう生きていける気がなかった。自殺未遂を何度かした。throwcurveの曲、僕らについてすべてが毎日ループしていた。

これは死にたい私にとって物語ってる音楽だった。

そうして引っ越した。

引っ越し先で落ちた。

引きこもりになった。

音楽も聴いていたけど流れていくだけで、無気力だった。そんな時自分で作曲して作るようになり、オーデションを受けたり、My spaceに楽曲をアップするようになりました。

いくつかライブに声を掛けてもらったり、オーデションにも通過したりしました。

けど、人嫌いが激しく人前で演奏することがどうしても出来なかった。こんなんで音楽を続けていくことが怖くなって、プレッシャーになり嫌いになった。それと同時にあるバンドを好きになってある呼び名で呼んでしまったことがきっかけに知らない人にツイッターで指摘され、もう私は邦楽なんか聴くものか。そう誓った。私は一年近く音楽を聴かなかった。あるときケティーペリーを耳にして洋楽のみを聴くようになり、今ではマイナーな洋楽も掘り下げるようになってる。

こうして私は約6年近く邦楽は聴いていなかった。でも最近やっと私は自分の娯楽の一つとして音楽を楽しむことが出来るようになり始めた。時間が経った今だから、だから邦楽も少しずつ聴くことが出来るようになり始めた。

そんなことを思い出したのだ。

色々あったんだよな。

長く書いたけど、まだこれから私は変わっていかなきゃ、居場所を見つけなきゃと思う。

もう若くない。

焦ってる、正直。

少しずつ自分を信じていきたいから。

自信と行動力。

自分が自分を好きになる為に。

それに尽きる。

これは私と音楽との年表だな。