いつの間にか夕暮れだった

こころかわりの烈しいわたしのこと

もういっかい、手の甲を撫でて

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だいぶ空いた日記。

最後の日記のあと目まぐるしく日常が変化していて、やっともとに戻った。

何があったかは言いたくない。

でも私は影響されて、何かを求めてる。

でも定まんない。

どうかきらいにならないで欲しい人がいる。

愛してるかは別。

ただ、もういっかい心配してほしい。

熱のある身体に。

もういっかい手の甲を撫でて欲しい。

無気力な私はきっと元気になれる。

それだけが原因。

それだけが叶えばすぐ元どおり。

きっと気付いていない。

早く気付いて電話して。

お願い。

 

明日から断食します。

26日まで。

劇的に変わりたい。

毎日気持ちかけたら書きます。

写真もサイズも撮っておこう。

そしたら心配してくれるかな…

視線ぎこちなく間奏に届く

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ここんとこ少女マンガが読みたくなる衝動に駆られるので妹のとか狙ってるんだけど、、、

中々読めない。

なんだか私が読んでたらそんなん好きだったんかァ(゚∀゚)

っていじられそうで嫌なんです!

でもなんだか読みたい年頃♡

なんか買って来るかなぁ。

でもなぁ。

極デブが少女マンガかよッ(゚∀゚)

って顔されて殺し笑いされたらやだなぁ。

と思うと買いに行きたくないなぁ。

これで1日また読まずに終わるんです。

早く飽きないかな。。。

そんな私にズドーンと心を打ったマンガ!

小林姉妹!

もう愛してる。

私にはない力が凄いッ!

生きる術、大切だなぁ。

 

パントマイムで語りたい

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長い話になる。

最近、邦楽をまた聴き始めて思い出した事。

 

私が音楽を聴いたのは、まだ、3、4歳くらいのとき。

父が流す母国の曲と奥田民生PUFFY井上陽水が私のナンバーだった。

そのぐらいのとき、

父と母は多分おもちゃみたいなキティーちゃんの録音マイク付きラジカセを買ってくれて、毎日のように父がカラオケを録音した音をバックグラウンドに私は歌い、録音した。

とても楽しかったし、何より父と母は笑顔だった。

そうして幼稚園に上がる頃から年中までの間を熱中させてくれたのが、ポンキッキーズで流れる曲と宇多田ヒカルだった。幼稚園のお披露目会でもポンキッキーズの曲が流れると兎に角ハイテンションになり、幼稚園を帰宅すると部屋をシーツで覆い、暗くし母の用意してくれた手作りサンドイッチやらハンバーガーの毎回違う軽食を食べながら宇多田ヒカルのアルバムを流しては熱唱していた。

なんとも有意義なもので、幼稚園が嫌いだった私は唯一のストレス発散だった。

そして年中の途中から海外へ引っ越したのを機に約2年間、音楽は無縁で残る記憶もない。

小学生に上がる年の春、日本に戻ってきた私はミュージックステーションで目にした、モーニング娘ゴマキに憧れた。といってもすぐに飽きてしまい、アイドルを好きになったのは、これと後にもう一度だけあった2回のみだった。

そうして小学生になると環境の変化に中々馴染めず、生活することが大変で音楽とはまた疎遠になった。

落ち着きはじめた四年生ごろ読書に猛ハマりし、特に星新一が私の愛読になり、今でもそうだ。

そんなうちに小学生高学年の五年生の時、ジャニーズのYa- Ya- Ya-にどハマりし、特に藪くんが好きで、この頃にませた妄想が酷くなった。

まぁ幼いものでしたが、この年に始めた手帳の日記には付き合いたいだの結婚したいだの好きだの、こんな文字が沢山連なったのも束の間、半年くらいで終止符を打った。

それもまた学校生活が問題だった。

私は5、6年と酷いいじめに遭っていた。

6年生には親友にも裏切られて、人間の付き合い方に困難を強いられた。この頃から中学生の時まで自分が学校では繕って生きていることに気づき、本当の自分を学校でもどうしたら見せられるか試行錯誤していたんだけども、いきなりいつもと違う自分を思春期真っ盛りな周りのみんなに見せても受け入れてはくれなかった。そして、余計変な子に見られる始末だった。

いじめ真っ盛りな頃、私に自信を与えてくれたのが舞い戻った音楽だった。

パソコンでヤフー動画を見ていた時に発見した、リップスライムとくるりが命中。

この頃、この二組はコラボしていたこともあってどちらも見事な歌詞に私は勇気づけられる。

くるりはとくに。

ばらの花、ハイウェイ、この2つは歌詞メロディー全てが私自身を物語ってくれて涙が出ていた。そして、CMで赤い電車が流れると嬉しかった。

なんだかんだで中学生になると、スピッツが私の頭から離れられなくなり、草野さんに恋した。後半になるとシュノーケルが好きになり眼鏡男子にとにかく憧れた。シュノーケルはおよそ2年近く好きになったバンドで私はここで音楽をやりたいと思い、ギターをはじめた。

その影響が次々に音楽開拓を始めた。アジカンアナログフィッシュキャプテンストライダムチャットモンチー、ベースボールベアー、akeboshithe pillows、書ききれないほど聞いた、名前も覚えてないけどマイナーなバンドも沢山聴きまくりました。

だけども音楽を好きになる一方やっぱりもっと学校が嫌いになり周りから逃げるため、嘘を沢山つくようになったこと。大人にはバレバレに近く、一年近く嘘を沢山つくことで同級生にも離れられた。それでも私はこうしないと自分を守ることが出来なくて、術がわからなかった。親にも相談する行為が出来なかった。私はどこでも誰にも優等生を演じていたから。

そして音楽で囲まれた自分だけの世界に入ってしまった。そんな時に学校で問題になり、私は学校へ行きたくなくなり、両親と喧嘩し、ごちゃごちゃになったとき、引っ越しをすることになった。

そんな中私は死にたかった。

何処へ行っても、もう生きていける気がなかった。自殺未遂を何度かした。throwcurveの曲、僕らについてすべてが毎日ループしていた。

これは死にたい私にとって物語ってる音楽だった。

そうして引っ越した。

引っ越し先で落ちた。

引きこもりになった。

音楽も聴いていたけど流れていくだけで、無気力だった。そんな時自分で作曲して作るようになり、オーデションを受けたり、My spaceに楽曲をアップするようになりました。

いくつかライブに声を掛けてもらったり、オーデションにも通過したりしました。

けど、人嫌いが激しく人前で演奏することがどうしても出来なかった。こんなんで音楽を続けていくことが怖くなって、プレッシャーになり嫌いになった。それと同時にあるバンドを好きになってある呼び名で呼んでしまったことがきっかけに知らない人にツイッターで指摘され、もう私は邦楽なんか聴くものか。そう誓った。私は一年近く音楽を聴かなかった。あるときケティーペリーを耳にして洋楽のみを聴くようになり、今ではマイナーな洋楽も掘り下げるようになってる。

こうして私は約6年近く邦楽は聴いていなかった。でも最近やっと私は自分の娯楽の一つとして音楽を楽しむことが出来るようになり始めた。時間が経った今だから、だから邦楽も少しずつ聴くことが出来るようになり始めた。

そんなことを思い出したのだ。

色々あったんだよな。

長く書いたけど、まだこれから私は変わっていかなきゃ、居場所を見つけなきゃと思う。

もう若くない。

焦ってる、正直。

少しずつ自分を信じていきたいから。

自信と行動力。

自分が自分を好きになる為に。

それに尽きる。

これは私と音楽との年表だな。

 

 

 

 

 

鉛腰

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決断するまでは早いのに、

いざ、腰を持ちあげようとすると出来ない。

なんとも言えない恐怖が自分を襲う。

やりたいけど自信が無い。

自信が無いけど、知識と口は達者だと思う。

この訳の分からない悪循環に何十年もハマっている。馬鹿だ。

とにかく馬鹿。

抜け出せたらいいのに、

なのに私は出口が見えない。

単純なのだろう。時々そう思うことがある。

なんで私みたいな人には出来ているのに

この私が出来てないんだろう?

はぁ

馬鹿だよ。

父も母も正反対に見えて、全く一緒だ。

どちらも私は苦手だけど、好き。

きっと居なくなっては私が生きていける気がしないから。

自分でなんとか出来る人間だったら、

多分どうでもよかった。

自分勝手なふたりは

そうじゃないフリをする。

嫌い。やめてほしい。

助けたいんだったら、手を差し伸べてよ。

なんでそう言う時だけ、

困って、泣いて、怒鳴るの?

嫌いだよ、そう言うの。

幸せか苦しいか?

地獄を感じるときがある。

もっとふつうに出来たはず。

変わらなきゃ、出て行かなきゃ、腰を持ちあげなきゃ。

いつになるか。

がんばりたい。

 

 

朝ごはんくらい自分の勝手にしたいよ。

 

 

 

あの娘は泣く、消えたカナリヤの所為

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何もない1日なんだけど、

最近ふと昔を振り返ることが多い。

昨日は、妹がこんなに成長したんだって感じた。

夜のスーパーで買い物してたら、パステルに近いむらさき色のジャージを着た小さな女の子。

こちらをずーっと見ていた。

私にはまるで隣にいるはずの妹が

向こうからジーっと見ているように思えた。

どこか悲しげで神秘的な視線を投げかけてくる。でもつくりものじゃなく、まだなにも知らないだけの恐怖と好奇心からくる眼差しなことも今だからわかる。

隣にいる妹は大人になりかけ、全てに迷い、なにかを欲求し続けているんじゃないかと思います。

辛いだろうな。

苦しいだろう。

でも、見守る事しか私には力が無い。

そんな中で向こうから見ている彼女は、

私たちに何を思って見ているんだろう。

スーパーの出口を駐車場へ向かい出て行く私は1度だけ振り返ってみた。

 

彼女は大人になりかけの妹をずっと見ていた。私の妹の背中を押してくれた気がした。

 

 

元に変える、それが変化であった

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私にとっての10年の節目がやって来ようとしている。

10年の間に変化なんて起きていない、私は変わらなかったって言い張っていたけど、

結局のところ成長出来てはないかもしれないけど、私は変わってしまったみたい。

ずーっと10代を歩いていると思いたかったのかもしれない。

酷かった豊かな感受性は

死のうとしたり、激しく言葉を並べたり、遠くへ飛び出したり、嘘をつき、

挙げ句の果て、引き篭もり、延長戦を今でも続けている気がする。

だけど、今は死にたくない、言葉を飲み込む方が多くなり、嘘をなるべく飲み込み、好きな本や音楽は変わり家族が尊く感じ、

こどもの感覚はすっかり遠くなってきた。

きっと皮肉れやで素直じゃないけど、私は自分が好きだよ。

そうして、10年の節目が迫っている。

私は今日も生きています。

聞いてますか?

10年の間の私!